【出雲大社本殿の内部はどうなっている?】内部図(神様一覧)と構造(建築様式)

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出雲大社・御本殿【国宝】

⬆️出雲大社・本殿裏側

創建年

不明

推定:大昔(神話の時代)

再建年(遷宮)

987年(永延1年)※平安時代

1036年(長元9年)

1067年(治歴3年)

1115年(永久3年)

1145年(久安1年)

1190年(建久1年)※鎌倉時代

1248年(宝治2年)

1667年(寛文7年)※江戸時代

1744年(延享元年)

1809年(文化6年)

1881年(明治14年)

1953年(昭和28年)

2013年(平成25年)




建築様式

掘建柱、切妻造、妻入

※大社造

屋根の造り

檜皮葺(総重量:約40トン/枚数:約64万枚)

大きさ

高さ:24m

母屋(殿)部分:四辺11m※正方形

心御柱の直径:約1.1m

宇豆柱の直径:約87cm

千木:長さ7m80cm

勝男木:長さ5.5m

大屋根の面積:約180坪

重要文化財登録指定年月日

1900年(明治33年)4月7日

国宝登録指定年月日

1952年(昭和27年)3月29日

御祭神(主祭神)

大国主大神

相殿神

天之御中主神

高御産巣日神

神産巣日神

宇摩志阿斯訶備比古遅神

天之常立神

大国主大神の神徳(ご利益)

縁結び、農業繁栄、医療繁栄(医学向上)、商売繁盛(招福)..etc

【ピヨ🐣コメント】

現在の御本殿は1900年4月7日に国の重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定され、次いで1952年3月29日には【国宝】指定を受ける。

御本殿の内部図と内部の構造

本殿各部位の大きさ(長さ)

  • 心御柱の直径:109cm
  • 宇豆柱の直径:87cm
  • 側柱の直径:73cm
  • 階段の数:15段

本殿内部は畳敷き

御本殿内部には60帖の畳が敷かれているのだが、江戸時代以前の資料が乏しいため、江戸時代以前より畳が敷かれていたのかについては未詳とされる。

御神座と御客座

西向きの御神体が奉安されている場所は「御神座」、西側の御神体と正対する場所は「御客座」と言われています。

出雲大社 御本殿内部図面




御客座(神座/かむくら)の別天津神(五神)の配置図

また、「御客座(神座/かむくら)」には、以下の5柱の神様が祭祀されています。

神座左から・・

  1. 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  2. 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
  3. 神産巣日神(かむむすび)
  4. 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)
  5. 天之常立神(あめのとこたちのかみ)

出雲大社 御本殿内部図面

「三柱の神(造化の三神)」とも言われる「天之御中主神」、「高御産巣日神」、「神産巣日神」。これらの神は根源神(こんげんしん)と呼ばれる神々です。

この中でも特に天之御中主神は最初に高天の原(高天原/たかまがはら)に誕生した神であることから、一説では天照大御神よりも上の神様であると位置付けられています。

他に「活力の神」とされる「宇摩志阿斯訶備比古遅神」、「天の神」である「天之常立神」。

そして、これらの5柱の神々を総称して「別天津神(ことあまつかみ)」とも呼びます。

これら5柱の神様は「天地開闢(てんちかいびゃく/天と地が誕生したキッカケ)の時に最初に生まれた神様で、一説には実体が無い神様であると云われております。

心御柱の近くに祀られる「和加布都努志命」

社殿中央の心御柱近くには「牛飼神」とも呼ばれる「和加布都努志命(ワカフツヌシ)」の童子姿の画像が安置される。

「牛飼神」の文字通り、この神は牛を飼育する技術に長けるらしいが、何にせよ心御柱の傍には童子姿のワカフツヌシの画像と耕牛の神像が安置されてい‥申すあひゃ

ちなみに神名の「布都」は「刃物が物を切るときの音」を表現することから製刀・鍛治に関する神とみられるも、神話では狩り・農耕の性格を有する

いずれにしても謎多き神には違いないが、どうやらこの神は「出雲国風土記」のみに登場し、同風土記には大国主大神の御子神と素敵に記される。

現今、心御柱の近くに奉祀される事実を以ってして心御柱と何らかの関係があるのかも知れない。

例えば、伊勢の神宮ではかつては「大物忌(おおものいみ)」と呼ばれる童女が社殿の床下へ入り、床下に埋納される心御柱の周囲で執行される特殊な儀式に参加していたらしい。

それと「牛飼」「耕牛」と聞いて出雲国造家(千家家)とも縁のある菅公(菅原道真)を思い浮かべずにはいられない。

向拝と階段

正面の扉前には木製の階段(15段)がある。

上記、外扉と連節する形で傾斜角を持った向拝と階段が素敵に附帯する。

ちなみに創建当初、出雲大社本殿は高さ96メートルもの大神殿だったという説があり、当時の階段は109メートルほどもあったらしい。




浜床

上記、階段下には方形の浜床(はまゆか)と呼称される床が素敵に設けられる。

このような浜床があるのは海辺が近かったことを意味し、事実、創建時の出雲大社は現在とは地形が打って変わり、島先に建っていたらしく、然るに周囲が海だったらしい。

御神体を隠す板壁

社殿入口を入ると板壁が眼前に飛び込んでくるので、御神体を正視することが叶わない。

然るに御神体がその板壁の向こう側で隠されるようにお祀りされているのだが、この理由は判然とせず。

社殿の壁はすべて板壁となっており、南面には上下開閉式の蔀戸(しとみど)が左半分に、右半分には出入口と外扉が据えられる。

本殿の「御神体の向き」

殿内は心御柱から東側中央の測柱まで板壁で区切られており、板壁の奥の「御内殿(ないでん)」と呼ばれる空間に御神座が西向きに安置される。

ちなみにこのように御神体を西向きに祀ることを出雲地方では「男造り(おづくり)」と称する。(逆に東向きは「女造り(めづくり)と称す)

然るに神座に安置される御神体(大国主大神)の向きも西側を向いており、社殿出入口のみならず、社頭の鳥居や門とも正対しない。

これは通例の神社境内の配置である「鳥居(境内出入口)⇒参道⇒拝殿⇒御本殿」の様式とは大きく異なる。

もし御神体(大国主大神)と正対して礼拝する場合、御本殿の(参道から向かって)西側へ回り込まなければならない。

【ピヨ🐣西側には拝所があるワヨ】

出雲大社では御祭神の向きに配慮して御本殿の西側にも「拝所」が設けている。

大神と正対参拝する場合は拝殿とは別に西側へ立ち寄る必要がある。




本殿天井部に描かれる未完成な「八雲之図」

出雲大社の御本殿の天井には「八雲之図(八雲の図)」と呼ばれる絵図が描かれています。

出雲大社・本殿「八雲之図」の謎と古くからの謂れ(いわれ)

この絵図は赤、青、黄、紫、黒の極彩色の配色で描かれた「七つの雲の絵」です。

しかし、この雲の絵は「八雲」と呼称されおり、8つの雲が描かれていないのにも関わらず「八雲」と称されています。

8つの雲がが描かれた理由はお分かりになりますか?

この理由は、あえて1つ不足させて7つとし、”不完全”にすることで「永遠を願う」と言う意味合いにしているとも云われております。

すなわち、完成してしまうとそれで終わりとなりますが、未完成だと完成ではないので永続するからです。

ちなみにこのような不完全な造物が見られる有名な神社に「栃木県・日光東照宮」がある。

日光東照宮の境内の建造物(一例:陽明門)には1本だけが逆さ向きの柱などの不完全な部分をワザと造り、永遠の平和や繁栄への願掛けをしているものがある。

これらのことをこの八雲の図に当てハメると「大国主大神の御威光が永続し、永久の繁栄」を願掛けしているものと考えられます。

この他、出雲大社の後方の山々も古来、「八雲山」と呼称されており、古くから出雲大社の御神山として禁足地になっています。

出雲大社・御本殿の堀立柱の配置図

出雲大社の御本殿は、正面、側面とも11m程の正方形で、「9本の柱が田の字型」にあって屋根を支えています。

画像引用先:http://blog.livedoor.jp/bungchanblog-kodaishi

「心御柱」とは?

殿内中央の柱は、他よりもひときわ太い直径1.1mもありますが、「棟木(むなぎ/屋根を支える太い木)」には達していないため「構造柱(屋根を支える構造)」にはなっていない。

この柱は「心御柱(しんのみはしら)」と呼ばれ、一説に心御柱は、神が宿るための「神籬(ひもろぎ)」的なものではないかと考えられています。

「心御柱」は、神が宿る「神籬(ひもろぎ)」的なもの

心御柱の正体については諸説あるも、伊勢の神宮では「忌柱(いみばしら)」とも呼び、御神体の憑代のように床下に埋納してい‥申す。あひぃ




宇豆柱

北側と南側の中央には1本ずつ「宇豆柱(うずばしら)」と言う3本の木を括りつけて1本の巨大柱とした柱が見られる。

南北の宇豆柱を基準として周囲に側柱を北に2本、西に3本、東に3本南に2本据える。

出雲大社 御本殿内部図面

中古時代に神殿を支えていた「柱」が出雲大社境内で見られる??

2000年(平成十二年)、地下祭礼準備室の建設工事の事前調査のみぎり、境内・八足門前(やつあしもん)前から勾玉などの装身具のほか、直径約1.4mの柱を3本束ねた巨大な宇豆柱(うづばしら)が発見された。

なお、現在、実物は状態保存のため、隣地に立つ島根県立古代出雲歴史博物館の中央ロビーにて展示され、八足門前には下掲写真のような柱跡を示す円が描かれる。

これら三つの円の一つ一つは1本の杉材を表し、3本の杉材を鉄輪で束ねて一つの図太い柱としていることが素敵に分かる。

【ピヨ🐣本当に太古の柱なのか?】

発見後、直ちに有識者らによる柱や装身具などの出土品の年代分析が行われ、その結果、1248年(宝治二年)造営時の本殿の宇豆柱である可能性が高いことが明らかにされた。

心御柱が見られる場所は「神古殿(宝物館)」

また、「神古殿2階の宝物館」の一階外側には、古代、天をもつらぬく巨大高層神殿だった大社本殿の心柱(心御柱)の模型(実物大)が素敵に置かれる。

↑宝物館の入口の「心御柱」

【ピヨ🐣コメント】

神古殿は出雲大社境内の銅鳥居をくぐった右脇に位置する。




本殿の外観的な特徴

破風

特に目を引くのが、屋根下に屋根の形状に沿うようにして設置された「破風(はふ)」の金色に光り輝く9個のご神紋。

高欄付きの縁

御本殿の周囲は四辺にかけて縁(えん)を回わし、高欄(こうらん=手スリ)がついた広い縁側が廻る。

なお、高欄の親柱上には擬宝珠(ぎぼし)を置かず。

本殿の場所は今と昔で違った?!

本殿は創建時から現在地には無かったと、これまた素敵に言われる。

然るに時代々々で位置が変わっている可能性があり、それを下記のページにまとめてみた。

出雲大社の遷宮や修造に関しての資料は少ない

出雲大社の遷宮や修造に関しての伝存する資料が少ないことから、過去、どのような手順や技法で造営・再建が営まれていたのかは不明瞭とされる。

2008年(平成二十年)の遷宮では作業に困難を極めたらしい。(鎌倉以前の御本殿に関しての確たる史料がないらしい)

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